村上春樹風に室蘭を語る
みなさんこんにちは、梅吉です。
今日はヤボ用があって北海道の室蘭に行ってきました。
室蘭はどこかというと…北海道の南の先っぽ。
要するに海に面した港町。
今回は、ただ室蘭の魅力を紹介してもおもしろくないということで、
村上春樹風に室蘭に行ったことを書こうと思います。
なぜなら、今ちょうど『羊をめぐる冒険』を読んでいるからです。
簡単な理由だ。それ以下でも以上でもない。
果たして僕が本当に村上春樹風に書けるかどうかはわからない。
でも、うまくいけば何十年かあとに、僕は救済された自分を発見できるかもしれない。そしてその時、鯨は海に還り、僕はより美しい言葉で室蘭を語れるだろう。
☆
僕は海というものが好きだ。
小さい頃、この世というものを認識してからそれが身体に馴染むまで、僕は海の近くに住んでいた。
家からは10分ほどで海に行けた。それくらい近い所だった。
そこは退屈なまちで、ハイヒールを鳴らして信号を急ぐ人も、電車で座れなくて大声を出す人もいなかった。
誰もかれもがゆっくり動く。そして誰も音を立てない。
車も家も、そこからは何も発する音が無かった。ただそこに「ある」だけだ。
もっと言ってしまえば、人を見つけるよりも猫やカラスを見つける方が簡単な所だった。
そんな退屈なまちで、僕は暇さえあれば図書館の本を片っ端から読み(おかげで図書館にあるミステリーの本をまるまる全て読破した)、それにも飽きてしまえば僕は海に行った。
まるでジブリ
海は塩の香りがして、大王イカほどもある昆布や空き瓶の破片やわけのわからないプラスチック、時には冷蔵庫などの大型家電やらが無造作に砂浜に置かれていた。
まるで静かな森にある家に突然強盗が入った後のように、それらはなんの整然性もなく砂浜に打ち上げられていた。
僕はその一つ一つを、探偵が靴についた土を観察するかのように注意深くよけ、靴を放り出して足を海につけて、海の冷たさを感じた。
僕はあの海の冷たさを覚えている。問いかけても何も答えてくれない冷たさだ。海とはそういうものだ。多分。
僕はもうすぐ冬が来ようと、まだ桜が咲き始めた頃であろうと、構わず海に行った。
僕は、誰もいない海が好きだった。あるいは、僕とごく親しい人物だけが海にいることが好きだった。
僕だけが季節外れの海を知っていると思っていた。確固たる根拠があったわけじゃない。
ただ僕には、他人が冬の海に入ろうとしたこともないと勝手に思っていた。
僕は山にも登った。いや、それは山と言えるかどうかも怪しい。山と丘の間といっても良い。
何を基準に「山」というものが出来るのか僕にはわからないが、僕は「山」を縦横無尽に駆け回った。
まちには坂が多かった。
戦争では坂のおかげで、火があまり広がらず、被害が大規模にならなかったと言われているくらいだ。
まちには工場があった。
昼間には煙がもくもくと空に昇り、夜には煙突から炎が出、暗闇の中で揺らめいているような工場だ。
工場にはいくつものパイプがあった。
外から見ると、工場は工場の地図記号そのままだった。
一流のパティシエがなんのためらいもなく斜めにカットしたケーキのように、工場はそこに存在していた。
工場の先には大きな橋がある。
白い、大きな橋だ(白鳥大橋)。
僕は小さな頃、小さな相棒と大きな父と、その橋を通って映画館に行った。
そこで見たミステリー映画に、その橋が出てきた。さっきまで通ってたいた橋だ。
(名探偵コナン『銀翼の奇術師』のこと)
それは奇妙な感覚だった。
いろんな物事が実は僕の周りで、僕のあづかり知らぬ所で起こっているのではないか、と思った。
そしてそれは半分は真実で、半分は嘘だった。要するに、知覚するかしないかだけのことだ。
その映画で、父は後半の半分ほど寝ていた。
帰る時も、僕らはその橋を渡った。
奇妙な感覚だけが残り続けていた。
☆
海の話をもう一度しよう。
良くも悪くも、まちは海によって出来ていた。海がまちを作った。
海があるから海産物があり、船ができ、工場ができ、風力発電ができ、橋ができた。
僕らは春の終わりに学校の行事として海を清掃し、夏にはイルカウオッチングをした。
イルカには毎年会うことができた。
ウミガメが僕らの船に並走することもあった。
ただ、鯨にだけは会えなかった。
船酔いに無縁そうな人当たりの良いガイドは、鯨に会えることはかなり稀だと言った。
なんでも、年に数回しか見られないらしい。
結局、僕らが鯨を見ることは無かった。
(イルカウオッチングは夏の期間、事前に申し込みをすれば一般の方も参加できます。ただし天候によるキャンセルあり。)
☆
僕がこのまちに再度訪れた時、もうまちは僕の知るまちではなかった。
そこにあるのは、懐かしい磯の香りと、不確かな記憶だけだった。
まちには、昔のまちの写真があった。
その中では人々は祭を楽しみ、ランプがいやに目に付く大きな自動車を珍しかっていた。
僕の知っていたレストランは無くなって、看板にガムテープが張ってあった。
通っていた学校も、数年前に取り壊された。
よく行っていたお店も潰れてしまった。
商店街は、もう永遠に開かないシャッターがいくつもいくつもあった。
ここあるのは人々の記憶の残骸だ。
僕らはいつも、未来をあやふやなものとして捉える。
しかし僕らが歩んで来た道を振り返ると、それもまた不確かなものであると気づく。
結局のところ、僕らが知覚出来るのは現在というたった一点のみなのだ。
僕はもう、このまちにはいない。
気づいたらもう僕は、あのまちの時間に身体がうまく馴染めなくなっていた。
初めは驚くしか無かった都会の喧騒さに、身体が慣れてしまっていた。
僕は記憶も、どうしようもないことで悩み湧き上がる若い感情も、全てをまちに放り出して帰ってきた。
僕はここで、歩くしか無いのだ。
【おまけ】
室蘭焼き鳥は豚肉です。カラシをつけて食べます。
給食で出ていました。
今だに焼き鳥にはカラシをつけます。美味ですので試してみてくださいね。
明日も花マルで。