「平静」最後の夏
お盆、終わりましたね。
梅吉です。
皆様に置かれましてはさぞや楽しい夏を過ごされたのかと存じます。
アッちょんぶりけ。
巷では「平成最後の夏」と騒がれていますが、いかがお過ごしでしょうか。
最後だもんね、盛り上がるよね。
って思うこともあるけど、
みんなさ、
ちょっとさ、
「平成最後」って言いすぎじゃない????
確かに平成最後の夏ってすごいよ?
今年で元号が終わることを自覚しているなんて、本当に日本の長い歴史から見てもすごい事だと思う。
でも、俺にとってはいつでも大事な一回こっきりしか味わえない一年を過ごしているわけだし、ゆうて俺たちはいつ、自分を失い、また何かを失ってしまうリスクを承知で生きているわけで、
何時だって人との関わりや営みが
大事じゃない時なんて、ないんだ。
・・・・・・
とはいえ、
まあ確かに平成最後って「自覚できる」今この瞬間は、とても素晴らしい体験なのだと思う。
陛下が残り少ない期限の中、「平成」である今を悔いないように生きたい。
と思えるのも、
これが「最後」だとわかっているかだなのだと思う。
最後の効果はすごい。
この瞬間は永遠では無く、もう後戻りできないと気づいた瞬間から、人々は本気になる。
真面目に、誠実に、悔いのない選択をしようと誓う。
「もう最後」、「いつもとは違う」特別な状況というものは、
僕らを少し奮い立たせる。
「何かいつもとは違う特別なこと」が起こることは、長い人生を営んでいくうえで重要なTips(こつ)なのかもしれない。
或いは人生を彩るフレーバーとなるのかもしれない。
ミレニアム。
西暦が1000から2000へ。
この1000年に一度という、とてつもなく珍しい現象に人々は湧きたった。
もう18年も前のことなので、覚えていない方もおられるだろうが、
1999年から2000年になるあの年、人々は大いに混乱していた。
平静では無かった。
下2桁が00になるという理由であらゆる機会が故障、誤作動を起こし、パニックになることを恐れた。
1999年7の月に人類が滅亡する殿、何ら根拠のないデマが日本中を震撼させた。
今思えばなんであんなにも人々は怯えていたのだろう。
変化が、激しすぎたのかもしれない。
新しい事、変わることは恐怖と対峙することでもある。
西暦が2000年になる事も、
公害病が人々を脅かしていたことも、
我々は好むと好まざるに関わらず対応しなければならなかった。
わからない「何か」と対峙して、付き合い、或いは折り合いを付けなければならない。
世界はどうやらとても複雑そうで手に負えない、
けどだからと言って、ここで何もしないわけにはいかない。
そんな空気があったのかもしれない。
今は、どうだろう。
我々は、今、幸福にも、「平成最後」の歳を生きていると自覚できている。
技術は相変わらず絶え間なく進化し続けているし、
ジョンレノンどころかマイケルジャクソンでさえ死んだ。
ジョブズも死んだ。
時代を象徴するようなカリスマ的リーダーは消え、
我々は我々の頭で考え、戦わなくてはならなくなった。
何が出来るのだろうか。
俺にできることは少ない。
某女優のように1000万円の寄付が出来るわけでもないし、
ナイチンゲールのように多くの人々を救えるわけでもない。
今目の前にいる人に、笑顔で、毎日挨拶して、
ありがとうを伝えることが関の山かもしれない。
文字通り俺には何もないから。
それを自覚することは本当に苦しい事だけど、
「平静」
を装いながら、
ハートは熱く
生きていくしかないのだ。
Fin
・・・・・・・・・・・・・
えー
というわけで (えほんえほん
平静最後の夏なんで、
まあ、
なんでもありっつうか、
ワンチャン行けるっしょ? つーか
できるっしょ?
って
感じで、
ま、家なんですけどね、
うん、何か、できる気がしてきたんで、これから、
トマト投げ飛ばし大会を開催してきます。
アディオス。