阿部梅吉の日記

梅好きの梅好きによる梅好きのための徒然な日々

僕が書くことについて書くときに僕が書くこと 小学校編

〜この記事を読む前に、前回の記事【幼児編】をお読みください〜


僕は小学校に上がってから、サッカーを始めた。
カズマ君が入ると言ったから。

父さんは野球の方が良い、と言ったけど、母さんはその考えが古いということで一蹴した。

母さんは強い。


サッカーは楽しかった。
でもたぶん、何かがだんだんとできるようになって行くのが楽しかったんだと思う。

要するになんでもよかったんだと思う。
野球でもよかったんだと思う。

実際、カズマが野球を始めていたら、僕も野球をしていたと思う。

でも僕はとにかくサッカーを始めて、そこそこうまくなった。




僕は時々思うのだが、僕は案外、寂しがりやなのかもしれない。
そんなこと人前では絶対に言わないけれど。



僕は実はもう一つ習い事をしていた。ピアノだ。

でも僕は、ユキとかカズマとか、ほんの一部の人にしか言わなかった。

だって男がピアノをしているなんて知られたら、とっても恥ずかしかったから。

今考えるととてもくだらない理由だ。
もっと堂々としていればよかったんだと思う。

でも当時は、ピアノをやっていることを知られるのがほんとうに嫌だった。

だからわざわざ遠くの教室に通って、毎週母さんに送り迎えして貰っていた(大きくなってからはタクシーに乗ることが多くなったけど)。


ピアノの腕前は…はっきり言ってあまり上達しなかった。
要領よく弾くことはできたけれど、イマイチ身が入っていなかった。

いや、入っているつもりだったと言った方が正しい。

要するに僕は、自己満足で終わっていた。

もちろん、自己満足の音楽でも素晴らしいものはある。

しかし、僕の場合は自分の世界だけで弾いていたからいけない。

つまるところ、僕は人に自分の演奏を聴かせるということは無かったから、その分成長も無かった。

人は、人に自分の作品を見せて、初めて成長する。

今ならわかる。そうすることでしか得られない成長もあるのだと。

でも僕は当時、そういうことをまるっきりわかっていなかった。
それを知るには、僕はあまりに幼かった。


小学生の頃、僕は暇さえあれば図書館に入り浸った。
一つはお金が無かったから。
一つは暇だったから。


習い事は二つやっていたし、そんなに暇だったというわけでも無いのかもしれないが、
間宮さんが夕飯を作るまでの間や歯を磨いてから寝付くまでの間、僕はほとんどフィクションの中の世界で暮らした。


それは奇妙なバランスだった。

ほとんど奇跡的なバランスで成り立っていたのだ。

僕は一日のうち、最後の数時間をフィクションに捧げた。


そう、この数時間、というところがポイントだ。

1,2時間で無くてはならない。
そうで無くてはならない何かかがあった。

一日のうちまるっきり本を読まないのもダメだし、かといって何時間も本を読んでいても良くない。
このバランスが僕にとっては重要だった。

もちろん、このことに気づいたのもずっと後のことだった。


間宮さんが僕の家に泊まっても、たぶん僕は本を読んでいたんじゃないかな。
あんまり意識していないから覚えてないけれど。



僕は他の人よりもフィクションの中に没頭する必要があった。


そういう時間が必要だった。

ときには、お風呂に行くにもトイレに行くにも本を持って行った。

そうしないわけにはいかなかった。

僕は初め、何の気無しに本を手に取る。暇つぶし。
現実逃避。
なんでもいいけど、そういう類の言葉でしか言い表せない。申し訳ないけれど。


しかしそれがいつの間にか、僕を支配する。

続きが気になり出す。
ラストまで読まないと気が済まなくなる。


いろんな本を読んだ。

その頃流行っていたファンタジーはほとんど読んだ。

僕は当時、ミステリーとかSFとかに凝っていた。

大人だったら暇つぶしで軽く読めるやつ。東野圭吾とかクリスティとか。
僕はそれを夢中で読んだ。

ミステリーの良さは、直ぐに読めるところだ。
一夜あれば読めてしまう。

それと、、、

読み終わるまで眠れないところも良い。



とにかくミステリーなら片っ端から読んだ。
でも、トリックは直ぐ忘れた。

僕が読んでいたのは、その小説の内容のもっていき方だとか、セリフの運び方、言葉遊び、ヒントの出し方…とか

そういうものであって、僕にとってはトリックはいわばおまけだった。

まあ、僕が馬鹿だったから直ぐ忘れたというのもあるのかもしれないが。




中学は私立に行け、と父さんに言われた。
こういうときの父さんは怖かったし、頑固だった。
母さんは父さんの頑固さに多少驚いたようだった。

たぶん父さんは幼い頃からずっと勉強でトップを走って来たから、中学という時期がものすごく大事な分かれ道であることをわかっていたんだろう。
僕に何としても私立に行くように、と口を酸っぱくして言った。

もともと小学校から私立行くつもりだったのだし、勉強を精一杯やる、というのも面白くなってきた頃だったので受験することにした。


僕は6年生から家庭教師をつけ、猛勉強(たぶん)をするようになった。

当時の僕の勉強量は、普通の人にとっては普通の勉強量かもしれないが、僕にとっては猛勉強と言ってもいいレベルだった。
それでも、平均的な小学生の勉強量はかなり上回っていたと思う。

少なくとも、過去にそんなにまとまって勉強したことが無かったから、だんだんと実力がついていくのがわかって楽しかった。

冬には塾の合宿にも行かされて、英語もやらされた。

僕はそこでかなり圧倒されてしまった。

まだ小学生だというのに、将来は東京大学に行きたい、とかいう連中がゴロゴロいて、僕は完全に打ちのめされた。
僕は東京大学以外の大学名も知らなかったし、大学名の持つ意味、大学で何をやるかとかも知らなかった。
漠然と勉強をするんだろうな、としか思っていなかった。
要するに世間知らずだった。

父さんは基本家にいないし、間宮さんも母さんも大学に行ったことがないから、大学について教えてくれる人がいなかったのだ。

でももうユキやカズマと離れても寂しくなるような年でも無かったし、そういう風に将来のことを考えている子達と話すのは刺激的だった。

私立に行くのもなんだか面白そうだな、と思い始めていた。
面白い奴がいそうだ、と。



ユキは僕のことを羨ましがった。

ユキは頭が良かった。体育はまあまあだけど、ピアノがうまくて成績優秀、顔もまあまあ可愛かった(と思う)。

クラスに一人はいる、お姉さんみたいなタイプだ。

今考えると、ユキの実力なら私立の中学だって十分狙えたはずだったと思う。

でもユキの家には、子供を私立の中学に行かせるお金の余裕は無かった。



というわけで僕はユキに後ろめたさみたいなものを感じつつ、私立の中学に行った。



最初の一週間は普通に過ぎて行った。
というか少し退屈だった。

授業はハイレベルで、宿題がたくさん出た。僕はその量とスピードに驚いたが、なんとか必死に食らいついた。
周りのやつも意識の高いガリ勉が多かった。

サッカー部に入ったけれど、それも週に4回しかなくて、他の中学に比べたらお遊びの範疇だった。

部活なんかよりも勉強、勉強な学校なのだ。

嗚呼、なんて青春…。



僕の青春が灰色に染まるかと思いきや、意外にも一人の男との出会いにより、僕の日常は急速に色づく。


あいつは、中也の詩集を読んでいる僕に向かって行った。



これ、いいよね。
この本は俺、持ってるよ。


そのときあいつはムカつくことに、中1でウィリアム•ブレイクなんか読んでいた。

僕が知る限り、あいつは最初から最後まで気取ったやつだった。




〜中高編に続く〜