英会話教室に行ってみた
今日も昨日も、おそらく明日もあくせく働いている皆さんこんにちは、梅吉です。
思い立って今日、わたくし英会話教室に行って参りました。
一言で言うと…
楽しかった!
でも程よく悔しいです。
ところどころわからなかったり、
何より…
言いたいことが言えないって辛い
ですね。
この不自由さ、人生でほぼ初めて味わったかもしれません。
いや、正確に言うと英語で不自由さを感じたのは初めてでした。
というのも、日本に生まれて20年以上日本で育って、日本の大学行って日本語で勉強して、日本のアニメみて、言葉のいらない音楽聴いて(たまに洋楽も聴くけど)、吹き替えの映画見て……
ぶっちゃけ、ほとんど不自由無いんですねー。
身につくはずないです。
で、英語使う場面はほとんど仕事になるんですけど(もちろん)、、、
それもほぼ文字から情報を得る状態でして、
話したり聴いたり…
ってのが圧倒的に足りないんですね。
仕事では確かに英語使わなくも無いんですけど、、、、
英語を自分から話すってことが基本的に無い!
ので、、、
話してることはわかるんですども、いざ話そう!ってなったらなに話して良いのか全くわからない。
あと、基本的に英語は読めれば良いと無意識に思っていた節があるんですね…
(これは今までの学校の授業の形態にかなり毒されてるのかもですけど)
日本の歴史を考えてみれば、欧米の発達した医学や科学、または文化などを学ぶ必要があったので、
必然的に
英語教育=文献を読む力、新たな概念を他国から(英語によって)得る力
って図式が半ばあったのかもですが、今はもう平成になって27年ですか?
(そう考えるとすごいですよね)
2015年には、もう何かを得る力だけでなく、自分から発信する力も必要に迫られて居るんですね。
2015年には、っていうか、結構前からそうだったとは思うけども。
まあぶっちゃけ、僕の職業分野、生物系はまだまだ欧米から得られるものも多いので、、、
というか【英語で書かれたもの】から得ることがまだまだ多いので(と言った方が正確ですかね)便利ですね。
経済やってる人とか、ビジネスマンとか、ウイルス研究してる人とかはまた別の言語やったりしてるみたいですけど…。
僕は幸い(?)、この日本という井戸の中でなんとかかんとかやっていける分野を選んだので…
多分。
それでも、
それでもそれでもそれでも、
やっぱり英語わからないと単純に不便ですね。
ほんとうに。
僕は恥ずかしながら、読めるけど話せない奴の典型なので…。
まあ、そういう訓練をしてこなかったからだけど。
僕は以前のアベック(死語ですか?以前付き合っていた人ですよ)が中国語を話せたので、
割と真剣に中国語はやりました。
真剣にというか、嫌々やっていなかった、って言った方が正しいですかね。
自発性がありました。わりと。
ちゃんと喋ってましたしね。
中国語やったことのある人はわかると思うんですけど、文法とか結構簡単なんですよ。
単語も結構理解しやすいし。
読めることは読める。
でもね、、、、
発音だけはほんとおおーーーーに難しい。
ほんとうに。
母音が7つとか、さらに複母音とかね。
わけわかんないよね。
子音もね、わかんないのよね。
似たような奴があんのよ、
それがねー、何度聞いてもわからなかったり。
ほんとね。
さらにさ、
声調ってのもあるんだよね。
日本語でも橋と箸のイントネーションって違うじゃない。
それと同じで、イントネーションが変わると単語が変わるわけ。
つまり、イントネーションの違いによって全く別の言葉になるという恐ろしい性質を持って居るのね。
だから、文字にすれば良いものを、喋ると全くわけがわからなくなってしまうという、、、、
割と恐ろしい言語でした。
中国語の先生は日本語ペラペラで、見た目もそんなに特徴あるわけでは無いし、中国人って言われて始めて気づくような人でした。
でも、時折生徒が何か発音すると笑ってたので、、、。
やっぱり何かしら別の表現に聞こえる時があったのですかね。
そんな先生は間抜けっていう日本語の意味がわからない、って言っていました。
元気かな。
残念ながら、僕の職業分野ではまだ汉语(中国語)は使わないみたいです。
だから僕は英語を必死に習得しようと思います。
ではでは、皆さん、
短い人生ですが、やりたいことは極力やり尽くしましょうね!笑
明日も花マルで〜^ ^